人の評価は簡単に変わる

plush-design-studio-483666-unsplash

人間関係でも学校でも会社でもテレビの中でも、世の中は本当に評価や比較で溢れてるなぁと思う。

SNSでもイイネの数を評価と見て一喜一憂してしまう。自分も気にしてない方だとは思いながらもやっぱり一個もつかないと寂しいし、たくさんつけば嬉しくなる。

そこは単純だ。でも、その単純な気持ちに左右されていくということは他人の評価に自分を委ねてるということに気付いた。

人の評価は変わる

人の評価は変わる。これは以前働いていたところでの人間関係で実際あったことなのだけれど、仕事場のアルバイトの女の子が仕事場の女の子のみんなから仲間外れにされたことがあった。

それまでみんな仲が良かったのに急にだ。

その仲間外れにされた子はとても優しく明るい性格。誰とでも気さくに話して嫌われる要素がない。その空気感を察した私は人に嫌われるようなことをする子とも思えず不思議に思ってその子を避けてる他の子に理由をきいてみた。

理由を聞いてビックリした。その理由とは女の子グループにいる気の強い女の子の一人が

「〇〇ちゃんてなんか八方美人というか誰にでも良い顔するとこ嫌いなんだよねー!」とみんなに言いまわってるからだというのだ。

私は思わず「え?だからみんな避けてるの?」と聞いたら話を聞いたその子も

「うーん、悪口言い始めたのはその子なんだけど~たしかに〇〇ちゃんてみんなに良い顔してる気がしてきて~」

と、なんとなくともとれる感じで仲間外れにしてるというのだ。良い顔のなにが気にくわないのか。少なくとも私はその子に媚びを売るような良い顔を感じたことはない。誰にでも本当に優しい子なのだ。

以前から仲間外れは始まっていたらしく、自分が避けられてると察したその子はバイト時間を他の子とズラして学校の休みの日に昼の時間だけ入るようになった。

その子は仲間外れにされているのにも関わらず、誰の悪口も言う事なく耐えていた。

辛い気持ちを持ってるはずなのに笑顔で話して働いていた。私はその子のことが好きだったのでその状況に納得がいかなかった。

すこし経って私はその子の悪口を言っていた気の強い子と一緒に仕事に入るときがあった。仕事後にみんなで話していると、あろうことかその子がみんなの前でまた悪口を言い始めたのだ。

「〇〇ちゃんてさー、なんか一緒にいて嫌なんだよねー!前から嫌いだったっていうかー!」

周囲の子もハッキリ同意こそしないものの

「うんうん」や「あー、なんかちょっとわかるかもー」と、その子の視点に流されてる感じだった。

私は思わず反論した。

「えー!なんで!〇〇ちゃんめっちゃ良い子じゃん!!うちすごい好きだけどな!」

そう言うとその気の強い子は

「えー!そういうところが嫌っていうかー、誰でもいい顔するじゃん?」と言う。

「なんでいい顔するの嫌なの?みんなに気遣いしてくれて凄いなって尊敬してるよー私。一生懸命だし頑張り屋だし、この前もさ~」

そうその子の良いところを話し始めると始めは静かだった周囲の反応がまた変わってきたのが分かった。

気の強い子にしていたかのような同調を私の言葉にしてくれるようになってきたのだ。

「あ~、私も〇〇ちゃんに困ったとき声かけられて嬉しかったことある~」と共感してくれた子がいたり頷きながら聞いてくれるのだ。

あれ、この子達も嫌いなのかと思ったけれどもしかして違ったのかな?と

そのとき私は「周囲の評価は簡単に変わるものかもしれない」ということに気付いた。

だから私はそれ以降もアルバイトの子に会う度にそれとなく〇〇ちゃんの良いところや好きなところを伝えるようにしてみた。アルバイト以外の人にも話すと元々良い子だっただけあって共感する人は多かった。噂というのはどんな話であれ広まりやすい。必然的にアルバイトの人達の耳にも届いたようだ。

すると驚くことに1ヶ月足らずで仲間外れは解け、またみんなで仲良く遊ぶようになっていたのだった。仲間外れがなかったように遊ぶというのもまた凄いなと思うけれども人は案外、印象や空気というものに流されてしまいがちなのかもしれないと思った。

こんなような例はもしかしたら誰もが経験したことあるんじゃないかなと思う。

何故なら同じようなことがその後パートさん達にも起きたからだ。

その件では一人のリーダー的なパートさんが個性の強いパートさんの悪口を言っていて周囲も同調するように無視していたのだけれど、そのリーダー格のパートさんが仕事を辞めると同時に無視も終わったという話。

あらゆるところで人はすぐ評価をして、その評価はコロッと変わる。

芸能人でも人気があってもひとつ不祥事があればテレビやネットで驚くほどに叩かれる。

同じ人でも、ひとつの情報や一人の人の言葉で簡単に印象というのは変わってしまうのだ。

それは逆も言えて一時的に有名になったときだけ評価が上がりチヤホヤされていても、その後結果が出せないと手のひらを返すように離れていく人達がいる。

比較や評価に惑わされないために

他人からの比較や評価というのはすぐに変わるもので、しかもその中身はとても根拠のない薄っぺらいもので出来ている。

その評価や印象というものに流されたり、自分自身が揺らいでしまうというのは人生において大切なものを失いかねないと思う。

人気がある内は自分の価値が上がったような気になる。人に評価されないと、自分の価値がなくなったような気になる。

その全てが自分の感覚よりも他人の評価を上に置いた結果だ。

でも、もしも自分の感じたものを一番上に置くのならそこにブレない自分が出来る。

いつも自分が自分に納得できる選択を

人の評価に流されてしまったり、人の評価を気にしてしまうのは自分自身の感じ方を信じ切れてないからだと、私は思う。

ある意味で、人間関係で悪口を言ってた気の強い女の子やパートのリーダー格の女の人は自分の感覚を表現していただけに過ぎないし、自分を持っているといえるのかもしれない。

ただ、それを本人に伝える度胸がなかったというだけだ。

自分がする評価は常に自分の感覚を元にして、自分が納得する選択を取り続けたい。そうすれば確実に周囲に左右されて疲れてしまうことも、自分の価値が左右されてしまうこともなくなる。

比較するのは常に過去の自分とで、自分が納得する選択が出来たならそれが自分の糧になる。そういう生き方が出来ると自分の中に芯が出来る。

芯が出来ると人生も生きやすくなる。

私自身もそれに気づいてからでも、何度もうっかりと言葉にこびりついた印象や評価に揺らぐことがある。

これは一種の訓練だなと思う。

情報に左右されたときにそれに気付けるか。そしてなにに焦点を向けるか。

注意深くみて自分の視点というのをもっと深めていきたい、そう思う。

 

投稿者: わん吉

楽しさと遊び心を大切に。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA