学生から社会人になったときに感じるギャップの大きさについて考える

abgavhjxwdq-timon-studler

学生時代に過ごす学校教育から会社員という社会人生活へと変化していく中で衝撃を感じるのはそのギャップの大きさではないだろうか。

誰もが通るこの転換期の中、私も例外に洩れず通過したときに感じた様々な感情を思うままに赤裸々に書いてみたいと思う。


スポンサーリンク

学校生活って長すぎない?

私が小、中、高、大と生活していて思うことは「学校生活ながすぎ!!」ということである。

もっと中学生やら高校で授業スタイルを変化させ得られるものに大きな差があればまだいい。けれど小学生から大学まで授業内容の難易度や細分化で細かな違いはあるものの基本的に先生がただただ生徒に受動的に知識を教えていく授業スタイルはどうなんだろうと思う。

個性を大事にとは表面的には言うけれど基本は学校規則に従わせ、協調性というものに重きをおいてる印象である。

しかし、こんなにも長い学校生活で得た知識や協調性は社会人になって役にたったという実感はあまり、、というかほぼない。

社会人は放置プレイという自由すぎる不自由がある

社会人になって思うことは社会人というのはその人が主体性を持ってるかによって不自由にも、自由にもなるということだ。

当たり前だが学校は義務教育があるけれど社会に出たら進路は自分の思う通りに決めていい。なんだったら働くか働かないかすら自分の意志で決めていいのだ。

そこに縛りがあるように感じるならそれは自分の心の問題で、要は生活できるのであればなんでもいいわけだ。

でも学校教育の中で受動的に決められたことを教えられてきた私たちは急に自由に決めていいよ、でも決めたことは自己責任ねと言われても放り出されても戸惑うばかり。

なんとなく学校が提示する就活セミナーに出席して、いいと言われる会社などに入社し、そこで学校のようにその会社の常識というものを吸収しようとする。

けれどこうした受動的な行動の結果は往々にして次第に人を息詰まらせる。

その原因多くはその会社を選んだのが自分の「~したい」という態度ではなく、社会的、将来的、待遇的にどうかという点で選んでいるからだ。

当たり前だが、自分のなかの「興味」や「適性」というものをしっかり向き合わず会社を選んでいたらこのさき何十年とずっと興味の持てない業務を毎日繰り返すことになるのだ。これは苦行以外なんでもない。

しかしまだ20歳そこそこ、しかも学校という守られた環境から出たばかりの真っ白い若者がそうなるのは仕方のないことだ。

これはシステムに問題があるとしか思えない。

本当は仕事の在り方は会社員だけではないし、選択肢はもっと広いし、自分で作ることだってできるのだ。

学生と社会人が近づける仕組み作りを

そんな中で思うことはもっと学生のうちに主体性を育てるとともに、社会について実感的に学べるような学校以外の場所作りが必要だと感じる。働き方についての知識や自分自身と向き合うための時間などをもっと多くとって欲しいと思う。

また、社会人になってもひとつの会社だけでなくいろんな仕事の在り方を体験できるような場所があるといい。

人の可能性を開くことが社会の役割であって欲しいから、顧客だけでなく同じ人としてその仕事についている人も、もっと尊重して欲しいと思うのだ。

主体的に生きるとは本来自由で楽しいもの。

その人生の楽しみ方を学校では教えてほしいし、社会ではその人が本来持つ力を最大限発揮できるよう若い人たちにはもっとたくさん機会や可能性を提示できる場所があってもいい、あるべきだと感じる。

そんな社会の中で育まれたその人が選んだ道でその個性を人の役にたつことが出来たなら、それは人の幸福であり社会にとっての理想であると私は思う。

 

 

 

スポンサーリンク

 

投稿者: わん吉

楽しさと遊び心を大切に。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です