仕事は手段、じゃあ目的は?


うっかりすると間違えそうなので自分なりの戒めとして。手段と目的を混同しちゃいけない。

生活するためには家という場所、服、食事が必要だからお金は必要だ。お金のために動くなんて汚いなんて言うけれど無料で住める場所や食料、生活用品が手に入らないならば仕事をすることは必須なのが今の世の中だ。

しかし、目的は生活、手段は仕事、こんな単純なことでいいのだろうか?

目的は生活じゃない。

自分が思うにただ生活するために働く、ただそれだけを基準に収入の条件をみて仕事を決めると必ずどこかで行き詰まるのではないかと思う。

もちろんそれ以外に自分の適性や興味を掘りさげて仕事を決めている人がいるだろうけれど大半の人は就職の時期に自分がなにをやりたいか明確化されてなかったり、あったとしても仕事としては探すことができないと諦めてしまったりする。

そうするとどこかで収入を基準としたり、最低限こういうのが向いてる、これはやりたくないからこれだろう、ぐらいの基準で仕事を決めているんじゃないだろうか。

しかしそうすると、どこかで「自分はなんのために生きているんだろう」という壁にぶちあたる。

目的は自分の在り方

生活のために目的もなく仕事をする。しかし生活が目的になるとその手段となる仕事がやりたくないことだと生活自体がとても苦しくなってくるのだ。

なんのために仕事をしているのか、会社の価値観が自分の考えと違うものだとそれを受け入れるには自分を殺さなくてはならない。

そうすると生活以前にまずある「自分」という存在が揺らぐのだ。

だからまず目的をもっと明確にしなくちゃいけない。

自分はどう生きたいか、なにを大切にしたいか、どういう自分でありたいかという「自分の在り方」だ。

 

手段は在り方に沿って

まず目的を決める。その中で、それを大切できることで自分になにができるのかを考える。

これが手段としての学校の選び方だったり、仕事だ。

なにが自分にとって自分であれるものなのか。一体感を生むものはなにか。

まずはこう在りたいという自分の価値観を決め、その価値観に沿う学校を決める。仕事を決める。そういう意味で個々の施設には理念というものがあるのだと思う。

学生のうちで明確に目的というものが決まってる人なんて少ない。はじめから天職につけたなんて人は本当に一握りもいないのが普通だと感じてる。

だからなるべく注意深く観察して試行錯誤すること。そうやって探していくことが尊いことだと思う。

ただ、もし少しでも興味のある分野があるのならその分野の専門学校にいくほうがいいと感じる。大学は系統はあれど、どちらかというとジャンクだからだ。

仕事においてこれがしたい!その仕事に就くために大学卒業が必須だというわけでないのなら大学が意味をなすのはやりたいことを見つけるための期間であって、身につくことというのはあまりないからだ。

もちろん、学校から受け取るのではなく自分で身につけるために動いたなら別なのだが。

 

まだ目的が決まってない人は、明確でなく自信がなくても現時点で少しでも興味のあることを見つけて専門学校へ入ることを強くすすめたい。

 

これはいろんな人を見てきての自分の見解だ。

やはり、違う道を選んだとしても身につけた技術というのは後々生きてくるからだ。

大学というのはどちらかというと専門的な「知識」であって頭を働かせることが多いため身につけるという感覚ではない。

忘れてしまえばそれで終わりの生かす場所がないものが多いというが自分でも認めたくないけれど実際問題、感じていることなのである。

 

目的を常に心に。

生活が目的、これももちろんあるかもしれないけれど、自分の目的は一度じっくり取り組むべき命題だと感じる。

誰のためなのか

自分という在り方と逆をいってないだろうか

手段のために目的が犠牲になっていないだろうか

 

一度きちんと向き合った上で

常に目的を心において、大事にしていくこと。

そして手段はあくまでも手段であり、いく通りも「目的への生き方」はあるのだということを考えていきたい。

 

 

投稿者: わん吉

楽しさと遊び心を大切に。

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