ドラッグ使用者は逮捕されるのではなく社会で支えるべきだと思う

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テレビをつけると定期的によく見かけるニュースの中に、有名人の覚せい剤や大麻所持などのドラッグ(薬)使用による逮捕がある。

誰もが知る有名人が逮捕となるとやはり衝撃的なのか驚くほどの報道陣に囲まれている。そんな光景を画面越しに見る度になんとも言えない違和感ややるせなさを抱えてしまう。

ドラッグ使用者は何故罰せられるのか

ドラッグを使用するに至った経緯は人によって違うし、好奇心のような人もいるかも知れない。

でも私が思う多数にある大きな理由のひとつに「現実に感じる耐え難い生きづらさ」というものがあるように思う。

ただ生きているのが辛くて、少しでも軽い、幸せな状態というのを味わいたくてソレに手を出してしまう。

有名人のドラッグの使用者も大体がいわゆる「最盛期を過ぎた有名人」。

ブームに乗ってるうちはチヤホヤし、過ぎればソッポを向く。人気があるうちは使いまわして用が済めばさようならという世界。部外者が想像しただけ心が少ししんどくなるのだから当人の内的衝撃は計り知れないだろう。これは私達も無関係なのだろうか。どうしようもなくても、確実にその背景の一部として関わっていることではないだろうか。

そういった心の虚しさや耐え難い苦しみから目をそらすようにドラッグに手を出す人は多いと思う。

それは当人だけの問題なのだろうか。

私はいわゆる人間をも巻き込む消費社会や、多数派重視による排他社会などのいわゆる「社会悪」は確実に関係していると思う。社会全体が生み出した苦しみの一面を、繊細な人ほどモロに喰らってしまう、そう感じる。

もちろん、それはその人の弱さであり、種類もあるが薬の持つ危険性からも他者に危害が加わる可能性がある限り取り締まらなくてはならないと思う。

でもそれは、捕まるのではなく社会全体で「支える」ような形をとってほしいと思う。

ドラッグに手を出す理由は様々であるが、どんな理由であれドラッグ使用者が救いたいと思っていて痛めつけていたのは自分自身であり、人を苦しめようとしていた人はいなかったのではないだろうか。

そう思うとドラッグの売買をしてる人は罰せられるべきであっても、使用者はその経緯を聞き理解し、また自ら進む一歩を支えることが社会の目指す道ではないかと感じる。

日本ではドラッグによって家族の縁が切れてしまうほどにそのイメージは悪く、当人の人間性に関わる問題、それに付随して家族全体の体裁にまで及び居場所がなくなっていく。

しかしフィリピンなどではドラッグに手を出した人を家族、引いては地域全体でその立ち直りと再出発を支えるのは当然だと聞く。日本においても、そういった目線での報道がもっとニュースなどで取り上げられないだろうか。もし苦しんだ末に救いを求めるために手を出したものがドラッグだとしたらと思うと犯罪者だ異常者だと叩かれる姿には弱った心に追い打ちをかけるような苦々しい光景に感じてしまうのだ。

物事は一概には言えない。様々なケースがある。

だから私の言うことも正しくはないのだろう。いろんな背景がある。そう、一概には言えないということを私達は知っていなくてはいけない。

あらゆるケースを想像して、ただ、一人でも多くの人が心を軽くして生きることを目指すのが社会の役目だと思うのだ。

投稿者: わん吉

楽しさと遊び心を大切に。

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