怒りは抑圧された感情

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最近は怒りという感情について考える。怒りっていうのは一見負のエネルギーのように思うけれど、本当にそうなのか。

私は一概には悪と言えず、場合によっては抑圧されたエネルギーが出ている良い兆候のように感じた。

そう思った自分の実体験を元に語りたいと思う。

怒りがない状態=エネルギーがない状態

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怒りというのはとてもエネルギーのいる状態だと思う。

なぜなら「怒り」という感情には「こうしたい」という意志があるからこそ、それが上手くいかないことに対する憤りとして出現するからだ。

私は幼少期から怒ったところを見たことがないとよく言われていた。

自分でも怒りの感情が湧いたことがなくどちらかというと何か理不尽な嫌なことがあったとしても「悲しい」気持ちが先に来て諦めに近い自分の無力感を感じていた。

その背景には幼い頃から続く両親の不仲や兄弟の不登校による精神的な荒れなどが重なり毎日喧嘩ばかりだった家庭環境にあったかもしれない。

なにをしても荒れた家庭は良くなることはなく思春期にはすでに「自分の家は普通とは違う」と諦めていた。家にいればとりあえず喧嘩が起きないように静かに、喧嘩が始まればおさまるまで押入れの中などに隠れていた。

ただただ起こることに怯えながら過ごす日々の中、反抗期もなく育った私は怒りという感情を持たないまま成人になった。

「怒り」=「自分の意志」

そんな自分に異変が起きたのは20代も半ばの頃だった。

接客の仕事についていた私は言われた通りの業務を日々こなす中、全てにおいて受け身だった私は次第に自分の感情というものが分からなくなっていった。

現実との乖離、というのだろうか。

景色が妙にテレビのワンシーンを見てるような感覚で自分の実体感がない。

無機質な周囲の景色がどんどん変わっていくのに押しつぶされそうな焦りと不安の感情が常に自分を襲った。

徐々に簡単なことが自分の意志では決められなくなり、少し歩いたりするだけで横にならずにいられないような疲労感に苛まれるようになった。

 

そんな自分が変わったのは日記をつけ始めるようになってからだ。

本すら5分も読めないほど慢性的な朦朧感があった私はこのまま何もできなくなっていくのが怖かった。

今の自分には普通の人がすることはハードルが高かったけれど今の自分でもなんとか出来ることからやっていこう。そうじゃなきゃダメになる。

と、本当にささいな事だけど今の自分が出来る精一杯をやっていった。

一日3行だけの日記とも言えない、自分の思考を綴る作業。最初はなんにも浮かばなくて困った。でもそんなときは「書くことが浮かばない」とそのまま書く。

3行だけでも書ければOK。なんでもひとつ、ちゃんとやったという手応えを大事にした。

自分の思考を綴ると徐々に自分という人間の本心がハッキリしていく。

ああ、自分という人間はいままで外側の価値観によって抑え込まれていたんだなということがわかる。

それまである程度いろいろ経験というものはしていたけれど、それは全部本当の自分の意志ではなくて外側の価値観から来る「~すべき」での行動であったり誘われるがままの得た経験だった。

そこから自分の「~したい」という意志を大切にして日常を意識しだすようになってから自分に変化が起きた。

「怒り」という感情が湧いてきたのだった。

怒りは抑圧された感情

それは多分、本当は今までも感じていたけど無意識化に押し込めていたいろんな感情が怒りという感情にまとまって出てきた感じ。

いろんな人や事柄、発言に対して渦巻く感情だったけれど総じて通じるのが

「なんで自分は大切にされなかったのか」

ということへの抗議だったのかもしれない。それは周囲にも、自分自身にも。

 

怒りを出し切ると「自分が生きる」

怒りが出始めたときは自分自身の脳内で止まらない罵り合いのバトルや、実際に言葉にして言ってしまうようにもなったりして自分自身もこのままでは自分が最もなりたくなかった人間になってしまう気がして恐くなった。

けど、あえて発散の仕方は周囲に迷惑をかけないように心掛けながらも(そうできないときもあったけれど)なるべく抑えず、感じるようにした。

なぜなら自分の感情というのは生きる上での大きな指針だから。

どういうことを望んでて、どういうことが嫌なのか。

それが分からないと周囲にとって便利に扱われるだけのロボットのようになってしまうと、今までの人生でもう知っていたから。

そうして怒りをある程度吐き切ると、自分の中でそれ以外の感情も生きるようになってきた。

楽しいときに心から笑える。

嫌だな、と思ったものは断れる。

そんな当たり前のことが出来るようになってきた。

なにより、「自分の人生なんだから自分が本当に望んだ方向に生きたっていいんだ」と思えたことが大きな収穫だった。

それまでなんとなく喧嘩は、怒りは悪いもの。

いい人にならなくちゃ

社会で良いとされてるイメージの仕事で、役に立つ、みんなに好かれるような社交的で人柄の良い人にならなくちゃ。

でもなれない。

なれない自分が辛かった。

でも、そうじゃなくていいんだ。

外側の価値観で生きてたから苦しかったんだ。もっと自分の思った方向に進んでいい。

自分の意見も少しずつ言えるようになったし、それによって喧嘩は悪いばかりのことじゃなく伝え方によって理解し合うための、絆を深めるための手段になることを知った。

怒りは悪い感情じゃない。

ポイントは出し方

徐々にわかってきたのは怒りは感情のまま対象にぶつけてちゃあまり良い結果にはならないことだ。

怒りに自分を乗っ取られたような状態でそれを相手やらにぶつけても責めてしまうばかりで良い方向にいくことはほぼないし、そのことでより怒りが増幅する可能性もある。

自分が本当は何が悲しかったのか、どうして欲しかったのか。どうしたいのか。

そこをちゃんと理解して、その過程でもし感情が高ぶったら声を出したり、モノに当たったり自分なりの発散方法を知ることだ。

私の場合は手足を動かした激しい運動が結構発散になることを知った。

自分の考えが出来ることで意見の食い違いや、思い通りにならない悔しさなんかも出てくる。けれど、それでもやっぱり自分という人間を理解できて、望むものに迎えるというのは人生にとっての希望だと思う。

怒りというものを感じたことがなかった頃より、今のほうが自分の人生を生きていると感じる。

だから怒りを感じることは抑圧された自分の解放、自分を理解するためのきっかけとして大事に扱う必要がある感情だと思うのだ。

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投稿者: わん吉

楽しさと遊び心を大切に。

「怒りは抑圧された感情」への2件のフィードバック

  1. ブレインフォグの記事や悪夢、瞑想の記事なども読ませていただきました。
    私は現在高校生で双極性障害二型という診断をされている者なのですが、母が(不器用なせいで)冷たい人で、中学の頃、トラウマで悪夢に苛まれるようになり、いよいよ母と衝突し、怒りました。そのことを後悔したこともありましたが、自分が前を向けている証拠なのだととても励まされました。ブレインフォグの症状にも現在悩まされています。でも、記事を読んで、日常を工夫すれば私も心身ともに健康になれるのだと希望を持ちました。
    ありがとうございました。

    1. つばくらげさん
      返信遅れてごめんなさい!コメントとても嬉しいです。

      反抗期などでもそうですが、怒りの感情は無気力や憂鬱感より自分のエネルギーが出てる良い証拠、一歩進む良い兆しだと思ってます。
      お母さんと向き合うこともとても勇気がいることだと思いますが、頑張っているのですね。

      ブレインフォグは自分の気持ちを押し殺してるときに出やすいかと思ってます。
      これまでの思い出す出来事のなにが嫌だったのか、本当はどうして欲しかったのかを考えて自分自身が気持ちを抑えて頑張ってきた今までの自分を癒してあげてください。

      怒りについての感情ですが、泉谷閑示さんの「普通がいいという名の病」という本もオススメです。

      ぜひぜひ読んでみてくださいね。

      つばくらげさんの幸せを心から祈っています。

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