人の持つエネルギーとその影響力について


最近、、というか昔から感じていたものではあるんですが言葉にしたことはなかったもの。

人が持つエネルギーや、はたまたオーラとも言うのでしょうか。その人が発していて、そして影響力のある「ソレ」の存在の話。

急にこんな話をすると、大体の人は「スピリチュアルか?」「なんだか怪しいやつ」みたいの思われそうですが、怪しいはともかく見えないモノの話である以上、そっち系の話ではあると思います。

でも、鬱やストレスによる病気にも言えることですが、見えない心の持ち方が生身の肉体に影響するものであれば、それが他人にも影響するというのは不思議な話ではなく解明されるべきだと感じるのです。

見えない空気という存在がないと私たちが生きれないように、見えないエネルギーというものが私たちを生かし影響を与えている。そんな可能性があるのです。

人が持つエネルギーの存在

この言わんとする”モノ”の名前は「エネルギー」だったり「オーラ」「波動」「気」いろんな言い方があるかと思うんですが、私的にはエネルギーが一番しっくりきます。

「この人といるとリラックスする」

「自分に素直になれる」

「元気がでる」

 

という人もいれば

 

「この人といるとなんだか疲れる」

「ぎこちない」

「落ち着かない」

という人だったり。誰もが経験したことはあるのではないでしょうか。

これは人が持つエネルギーが相性や、そのエネルギーが持つ力によって影響され合うことで生まれるものであるというのが私の認識です。

自分に対する姿勢が影響する

私が思うに、この「エネルギー」の質は、どういった自分の持ち方をしているかで決まってくるように思います。

「自分自身」を大切にしている人は、周囲にリラックスや調和の空気を生み焦りや不安を消します。

喜びや楽しさなど心の持つ陽性の感情を大切にしている人は、力や活発さを発し、人を元気にします。

逆に過去や未来にとらわれ、自分自身を責めたり、罪悪感を感じている人は心の陰性のエネルギーにを生み、居心地の悪さや不調和を生みます。

ひどくなると枯渇し、死に至るものでもあるとさえ思うのです。

 

見える肉体である「自分自身」の中には見えない精神としての「自分自身」というものがいて、そのふたつの自分自身がどれだけ一致しているか、そこでその人が生むエネルギーの量や質は変わってくる。

自分自身の体験からそう感じます。

私の経験

見える肉体である自分の表現や行動はとても分かりやすいですが、見えない自分自身の心と言うものは本人も気付かぬうちに抑圧され形を歪めて育っていったりする可能性があります。

それは家庭環境などでも親の顔色を伺って自分の気持ちを押し殺してきた人や、

または常識や「こうあるべき」という作り上げた型にハマろうとしたり、承認を求める心からの偽りの自分を演じることから始まります。

私自身も、数年前、知らぬ間にこの穴へと落ちていたときがありました。

その時は自分の感じていることも分からず、こうあるべき社会人としての理想を自分に言い聞かせることでどんどん自分と自分自身が分離していく感覚。

この見えない自分自身との分離感というものは不安や恐怖、焦燥感を生み、エネルギーを淀ませ、または閉じさせるものです。

実際このときは自分自身が纏う空気の重さに自分自身が押しつぶされそうでした。

「自然に話す」ということが出来ない。

ここにいたらダメなような気持ちがそのままその場に反映され空気を淀ませる。苦しい時期でした。

 

しかし、ここから自分の内面と向き合うきっかけとなり、自分の本当に望んでいる感情や在りたい姿に気付くことができたとき自分から湧く「エネルギー」というものにも気づきました。

本心の自分と一体になれたとき、エネルギーは純粋なまま滞りなく巡るもの。

 

それを実感として感じました。

 

自分自身に沿った在り方の大切さ

それまで私が努力していたのは「なりたい自分」になることでした。しかしそれは社会で良いとされるモノに自分がなること。

人から認められたい、好きな人に好かれたい、期待に応えたい。

全てを自分ではない外部のものに合わせようとしていました。しかし当たり前ながらそこには自分自身がないのですから苦しく、本当の意味で自分を満たすものは存在しません。むしろ苦しく努力すればするほど分離感、不安感は増します。

 

でも本心の自分が「在りたい私」というものが自覚を持って一致するときに自分自身を取り戻せたような、そんな安心感とともに心は満たされていったのです。

自分自身の調和が生む安心感とでも言うのでしょうか。

それは周囲の期待とは違う、認められるものではなかったのかもしれませんが、それすらも気にならないくらいの清々しい気付きでした。

純粋なエネルギーは存在だけで価値がある。

見える自分と見えない自分がしっかりと一致しているその人自身のエネルギーというのは、それだけで傍にいる人を豊かにし安心させます。

植物で言うなら、しっかり栄養(エネルギー)がいき、本来の花を咲かせている姿です。

 

逆にその花は見ることをやめると養分がいかなくなり、周囲からのこうあるべきで抑圧させると枯れていきます。

 

人の本来もつ力というのは、この花を咲かせた状態でないと発揮できないと私は思うのです。

人は自分自身の気付きと共に他者と触れ合いながら、影響されあって育つものです。

だからこそ、自分自身と向き合いそのエネルギーを分け与えていくことはとても大切なことに思います。

社会というものが、イキイキとした花が咲かせあえる場であるか、また否か。

 

良いエネルギーを交し合える場であってほしいと私は思うのです。

投稿者: わん吉

楽しさと遊び心を大切に。

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