自分の無意識の本音に気付く


前回の記事の続きです。

その日の夜に私は寝不足だったにも関わらず5時間ほどで布団の中で目を覚ました。

重だるい眠気があるにも関わらず、何度寝ようとしても寝付けなかった。


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前回の記事はこちら→ハッピーカフェに行こうとして気付いたこと

じっとしていると自然と今日一日のいろんな場面が浮かんできた。

行けなくなるなんて思ってなかった。

道に立っているだけで注意してくるおばさん

居心地の悪いランチ

電車での苛立ったおじさん。そのおじさんに向ける侮蔑を交えた女性の視線。

ビジネス街を道行く人も、満員電車の中もなんだかしんどかった。

なんのために私は行ったのか。

急にどうせ自分はなにをやっても上手くいく未来はないのだと強い無力感が襲ってきた。頭では結局ランチは美味しかったわけだし、目的は達成できなくても行ったことのない場所に出かけただけのことだ。帰りの電車だって自分には関係のない出来事じゃないか。些細な事。些細な事だ。

そう思っているのに自分が願った世界の真逆の、願わない世界をまざまざと見せつけられたような気がして悲しい気持ちが抑えられなかった。

自分はなにに対してこんなに悲しがっているのか自分でもわからなかった。

 

しばらく訳もわからない悲しい気持ちに襲われたあと、ふいにハッピーさんの

「嫌な出来事は自分の望みを知るきっかけ」

という言葉が浮かんできた。

そうだ、自分はなにに対してこんなに悲しかったのか、自分は本当はどうなって欲しかったのかをもっとハッキリさせなくては。

失敗続きで全てがうまくいかないような気持ちになっていたけれど、自分は本当はなにに対して落ち込んでいるのか。

自分の気持ちをもっと深くみてみよう。

そう思ってよくよく考えてみた。すると全然違う気持ちに気付いた。

ハッピーカフェに行きたいと思ってる望みが叶わなかったことが悲しいんだと思っていた。

けどそうじゃないかもしれない。

ハッピーカフェに行きたいとは思っていたけれど、本当の望みは、そこに行くことじゃなかった。

私はただ、自分の望みを叶えるという経験をしたかった。その経験が出来るならなんでもよかった。

おばさんに注意されたことや、ランチの居心地が悪いことを気にしていたけれど私自身がそれを気にしてへこんでたわけじゃない。私はそのとき、相方さんが気分を害してるんじゃないかということを私自身の気持ちより気にしていた。そしてそれで気分を悪くしてるに違いない、疲れさせてるに違いないと勝手にずっと焦っていた。

帰りの電車の中でのことも、立っていることを注意されたことも自分に関係のない出来事と思いながらもモヤモヤしていたのけれどある意味では自分の内面を反映させてたのかもしれない。

私は目的の店に行けないと思ったとき、なにか自分が否定されたような気分になって悲しくなっていた。相方さんも付き合わせてしまったのになにか自分が無理にした行動で迷惑をかけたような、無力感のようなもので自分を責めてた。

そこに反応するような現実が起きたのかもしれない。立っていることを注意され、行為に対して責められる。そんな現実が目の前にきて私の感情もゆらゆらと揺らいでしまったのだろう。

そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

でも、さっきより自分の本当の気持ちに近づいた気がした。

自分の内面が現実になるような体験をしたかったなら、私の願いは叶っていたのかもしれない。

そう考えると納得できる。

でも、まだ自分のなかにモヤモヤが残っていた。

なんでだろう、違うんだろうか。

まだなにか消化されてない。

 

暗い部屋のなかでじーっと天井を見つめながら自分の気持ちに集中したときにふと私はその気持ちの正体に気づいた。

 

「じゃあ私が本当に感じていたことはなんだったんだろう」

 

そこに気付いたときワーッと今日の、今までの感情が押し寄せてきた。

最近ずっと未来を思うと眠れなくてずっと辛かったこと。良い感情を意識しなければとその辛さや、不安をごまかしていたこと。

道行く人が無関心なようで、冷たく見えてなんだか怖かった。

もっと愛情ある暖かさが見たかった、触れたかった。なのにみんな無関心で、悲しい。

今日も寝不足で辛かった。それなのにそれを感じないようにしてた。ずっと休みたかったのに自分が行きたいと言って付き合わせたのだから感じてはいけないことだとずっと押し殺してた。

良い気分でいなきゃ願いは叶わないのに悪く考えてしまう。頑張ってるのに、叶わない。どうせ叶わない、守ってくれる人なんていない。悲しい。

 

そんな幼稚な、見たくない自分の気持ちが見えてきた。

今日だけじゃない、最近眠れなかったのも、良い気分じゃないと楽しい現実は現れないと思ってずっと寂しい気持ちや、孤独感を感じないように自分の気持ちをごまかし続けてた。

だからずっと辛かったんだ。

そこに行きついたときにブワッと溜まっていた感情が溢れ出して勝手に涙が流れていた。

溜まっていた感情が今日の出来事を通して噴出しただけだった。

 

ひとしきり感じきると私はとてもスッキリして、ようやく安心できた。

 

今なら今日と同じ出来事が起きても感じ方が違うだろう。

そう思うと現実に起こる自分の反応というのは本当に内面の反映でしかないと思った。

 

もし「嫌な感情は自分の本当に望んでることを知るきっかけ」なら、私は本当はこの自分が抱えてる悩みも、嫌な感情も、まるごと愛してほしかったんだろう、理解して欲しかったんだろう。

そう思った。

それには、まず自分だった。

 

自分がどんな感情も善悪つけずに受け入れてあげること。

それが大事だった。

 

もっともっと自分の感情を大切にしようと思ったタイミングで、隣りに寝ていた相方さんが寝返りを打って足を私の上にのせてきた。

足を上にのせられると徐々に重さが辛くなるし、体勢も変えられなくてつらい。

いつもなら寝相なんだからしょうがない、とそのまま我慢してしまう自分がいた。

 

でも、こんな小さなことでもなにを選択するかは本当に大切なのかもしれない。

 

私は相方さんが乗せた足を避けてみた。

 

避けたはいいけれど避けると私の身体は布団からはみ出してしまっていた。

そういえばこういうことはよくあって押し出されて布団の境目に寝るのがしんどいからと畳の上に寝てしまう日も多くあった。

朝起きて相方さんに

「なんで畳で寝てるの?」と問われて「暑くて」とか嘘をついていたのはなんでなんだろう。

正直に言って気分を悪くするような人じゃないと分かっているのに、無意識についていたその癖。

わたしはエイッと自分の足を相方さんの上にのせてみた。

なるほど、抱き枕のようになって楽だ。

でも、寝返り打ちづらいだろうなと思うとムクムクと罪悪感が浮かんできた。

おろす。

すると相方さんは仰向けで膝をたてて、その立てた膝を私にまた寄りかけてきた。

これも重い。

どうするかと思って私も同じように膝を立てて防御してみた。

さっきより楽。でも膝をたてて寝るのは慣れていない。

また避ける。

避けた上でグイッと相方さんを奥に寄せて自分のスペースを確保した。

うん。これだ。

これなら寝れる。嫌なら避けていい。お互いによいと思える所を探すだけ。

 

いつでもこういう選択をしていきたい。

 

そうウトウトと夢の中へ入りそうになりながら、そういえば押入れにもう一式布団あると言ってたことを思い出した。

自分にとっての心地良さを選んでいくことへの道は簡単なようで我慢に慣れた分だけ注意深さが必要だった。

でも、今日の気づきはとても大きいことのように思う。

 

後日談だが、相方さんにその日のことを聞いてみたら意外と街の雰囲気も好きで相方さん自身は楽しんだということだった。

私もよく感情を感じきったせいかこの日からよく眠れるようになった。ら、この日の思い出の印象が変わってきたことが面白い。

ハッピーカフェも私の行ったすぐにサイトの値段が修正されていた。ある意味これは私に必要だったことかもしれないと思う。後になって気付いたことだけどハッピーさんはまず、自分の感情をゼロにしてから、良い気持ちのものを選択することを言っていた。

私はそれをずっと無視して溜まっていた負の感情を感じずにごまかし続けていたのだと思う。そのままハッピーカフェに行けてたとしてもどこかでこの気持ちは爆発してたに違いないと確信をもって思う。

出来事はやはり自分の内面を通して映るのだな、と感じる。

負の感情だって大切なのだ。どの感情も大切にした上で心地よい方向へ進んでいくこと。改めてそう思った。

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投稿者: わん吉

楽しさと遊び心を大切に。

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