負の感情を無視しない


どうも、わん吉です。

本文とは関係ないんですが最近ブログにスパムが多かったんですが対処の仕方がわからなくて放置してたんです。しかしよく見るとコメント書いてくださってる読者の人がいて大分遅れてしまったけどしっかり今読ませて頂いてます。ちょっとヘコみ気味のタイミングだったので凄く嬉しいです。励みになります。本当にありがとうございます。

最近の教訓

最近は負の感情というかムクムクと自分が縛られてるような、怒りの感情が湧きやすくなっていました。

少し道が塞がれてるだけでイラっとしてしまうような。そんな自分に気付いて街で見る近づきたくない人に自分がなっていってるような気がしてまたヘコんだり。

2年くらい前にも同じような状態になったときがありました。あのときも自分は怒ってばっかりの嫌なやつになってしまうんじゃないかと感じていましたが、今思うとその頃は大分遅い「反抗期」とか「イヤイヤ期」のようなものだったのかもと思います。

私は学生の期間ずっと家は喧嘩ばかりで荒れていて、両親や兄、弟が喧嘩するたびに心の中で「これ以上喧嘩は嫌だ」「自分は面倒かけてはいけない」と静かにすること第一に過ごしていました。

だからか、成人過ぎてからも自分の意思表示も出来なく、自分自身がなにを考えてるかも自分でわからなかった。

その中でも怒りという感情は一番抑圧されたものだったのか「怒ってるとこみたことない」とか「いつも笑ってるね」とよく言われていました。

自分でもいつも怒りは感じることはなくて、どちらかというとなにか理不尽なことがあっても悲しいような重いような気持ちになるばかりで「怒り」というものを感じたことがありませんでした。

自分でも覚えているのですが、中学生くらいの頃、本当に毎日のようにひどい暴れ方、暴言を吐きまくる兄をみて

「ぜったい私はこんな風にならない!」

と、怒りに似た感情で強く思ってからその感情に蓋をしてしまったように思います。

反面教師も教師

しかし最近読んだ本の中で親がキレやすいなどで子供が自分は親のようにはなるまいと怒りという感情を抑圧してしまうと抑圧した感情が溜まり膨らんでいって爆発してしまう。そして爆発した結果、悲しいことになりたくない親にそっくりの自分になってしまう。

これを読んでああ、自分も負の感情はない方がいいもの。負の感情を感じなくなることを目指していたかもしれないと思いました。

でも、晴れの日ばかりじゃ自然が枯れていってしまうように雨の日だって大切なものです。

人の感情はひとつの感情だけ蓋をすることは出来なくて、ひとつの感情に蓋をすると全体的な感度が下がってしまうんだと体験的に感じました。

負の感情を愛すること

いま思うと2年前の怒りを感じたときは一生懸命自分の想いと向き合っていた時期で自分というものをちゃんと表現したいという思いがありました。

成人してからも無理を言ってくる兄に「もうこれ以上自分の人生をメチャクチャにされたくない!」と抗っていた。

自分のなかでこんな風に兄にたてつけるのかと、でも昔からずっと抱えてた感情が噴出して止まりませんでした。あのときの怒りは私にとって必要で大切な自分のための叫びだったように思います。

そして最近になってまた、怒りの感情が湧いてきた。

この感覚はまた自分のなかでの抑圧があったことの現れだったなと。

怒りも大切な感情だと思っていながらも、まだ自分の中でモヤモヤしたときや負の感情がムクムクきたときになんとかそれを失くそうと思ってた。

瞑想して静めようとしたり

気分の良いことや考えを無理矢理することでそっちに持ってこうとしたり

そんなことを続けていくうちに知らず知らず心がストレスのようなものを感じていた。

そんな中でフッと我慢できない怒りの感情がわいてくるようになったんだと思います。

そう最近気付いてから

「怒ってる自分を愛する」

「悲しい気持ちも大切にする」

そんな風にポジティブな明るい自分だけを良しとする見方を変えました。

 

そうすることで自分の気持ちがちゃんと消えてくことを感じたんですね。

無視すると悲しみは溜まってくんです。

どんな自分の感情も差別せず、見つめて、愛してあげること。これが大事なんだと思います。

 

投稿者: わん吉

楽しさと遊び心を大切に。

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