やりたいことがわからないときは感情が麻痺しているとき

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今の人生になにか違和感や焦りをもっていてもやりたいことがわからないから変えることができない。一歩を踏み出すことができない。

私も経験したことがあるのでこの気持ちは痛いほどわかります。

自分は何を軸に何に向かって生きればいいんだろう、周りに振り回されてばかりで疲れた。。

何が欲しいのか、なにが好きなのか、そんなことすらわからなくて毎日消耗してました。そんな私が今、やりたいことに向かって進んでいけるきっかけになった習慣を紹介します。

やりたいことがわからない原因は?

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まず、やりたいことがわからない人に多い特徴として

  • 人の顔色を伺ってしまう
  • 協調性があり、周囲に迷惑をかけない優等生タイプ
  • 親に自分の気持ちを言えないような機能不全家族だった

このようなものがあります。

要は自分の気持ちを押しこめることに慣れてしまって何をしたいのかがわからない。

「やりたい」と「やるべき」が長い間、自分の中でごちゃまぜになって自分の感情なのか周囲の空気を読んで選んだことなのかわからなくなるのです。

当たり前ですが、周囲の期待や目を気にして選んだものは自分の本心ではないので心はそれをやるごとに疲れていってしまいます。

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やりたいことがわかるということは生きる糧になる。

やりたいことと言うのはいわば自分の「好き」「嫌い」であって自分の本心で望んでいることでもあります。

幼い頃というのはこの感情に正直でしたよね。

「自分はなにをしたらいいんだろう…」なんて悩むことなんてなかったはずです。

好きなことをひたすらして嫌なことには泣きじゃくって反抗、毎日力いっぱいやりたいことをやり、嫌なことがあっても次の日には忘れてる。

パワフルに動き回っても、毎日疲れてるなんてことはなかったはずです。

やりたいことをやるということは自分を軸に生きるエネルギーになります。

やりたいことを見つける大変さ。

やりたいことが分からなかった頃の私は本当に四苦八苦してました。

まずなにをしていいかもわからないので一歩踏み出すにもとても勇気がいりましたし、なんでもやってみること!と飛び込んだ先で失敗しては傷ついてより殻を固くしてました。

今になって思うことは本当になにをしたらいいかわからなかったので、「なんかやってみたほうがいいんじゃないかな」ということをやっていたということです。

私の場合だと、一人でコツコツ机に向かうことが好きなのに人と関わったり社交的になれた方がいいんじゃないかと思い接客業の仕事をしていました。そこで行き詰りながらも、そこを直したいと更に演劇を始めて人前で堂々と話せることを目指しましたが、苦痛は増えるばかりでした。

その後も、役に立ちそうだからビジネスの勉強ができる場所でプレゼンの練習などもしましたが、自分で始めたにも関わらず行きたくなさすぎて駅前で30分立ち尽くす有様。

身につけば救われる、と思ってやっていたけれど、心の底ではやりたくなかったことだったので、本当に辛かったです。

でも今思えば明らかにやりたくないことでも、当時はそれがわからず、「やっておいたほうがいいに違いない」という強迫観念から頑張ってはいましたが、上手くできない自分にただ自信を失っていました。

やりたくないことだから当たり前ですよね。

きっかけをくれた本

「頑張っているのに道が開かない、、本当に自分は何がやりたいんだろう」

そんな絶望感を感じながらふらっと立ち寄った本屋さんで「ずっとやりたかったことを、やりなさい」という本に出会いました。

タイトルに引き寄せられるように手をとり、数ページ読んだらもうレジに持っていっていました。

少し読んだ感覚で、この本は「答えを教えてくれるもの」ではなくて「私の中から答えを探そうとするもの」ということがわかったからです。

毎日15分、自分の気持ちを書き綴る。

「ずっとやりたかったことを、やりなさい」の中では一週間ごとに自分と向き合うワークが用意されていて、それによって人が本来持っている創造性を取り戻していける、といった内容でした。

その中でも、一番重要なワークとしてあるのが「モーニングページ」と呼ばれる朝に起きて自分の感じてることを書くワークです。

といっても日記ともいえぬ代物です。

頭に毎日浮かんでるような悩みや、パッと浮かんだことをそのまま書く。

脈絡やポンポン話が飛んでも関係ない、いわば脳の排水のような文章。

毎日3ページなんでもいいから書く。例えば「今日は仕事休みたい、、あ、そういえば借りてたDVD返さなきゃ、、なんだか最近ゆっくりできる時間がほしい。。猫飼いたい。お腹すいたなぁ」とかなんでもいいんです。

浮かんだことを書く、つまりなんでもいいわけだし、常に考え事をしてるから書けるはずなんですが、これが当初は2行で止まってしまうほどなにを書いたらいいかわからなかったんです。

そんなときは「なにも浮かんでこない。なんでだろう」と書きました。

 

朝という時間は一日を終えていろんな外部からの影響に疲れて、自分の心がわかりづらくなっている夜より、一晩休むことで自分が一番フラットになっている時間でもあります。

朝の気持ちを感じ取る、それは自分のいまの環境を見つめる大切な時間となっていきました。

続けることで、見えてきたもの

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最初はなんとなく文の体裁などを何故か気にしてしまったりして書くことが苦痛だったりで間隔が空いてしまうこともありました。

でも空いてしまってもいいという気持ちでこの作業を続けていくと徐々に自由に自分の気持ちを表現することの楽しさ、自分の気持ちを客観的に見ることの大切さを知ることができました。

頭の中だけで考えてるうちは自分の気持ちもなぜ塞いでいるかなどわからないまま答えを出せないでいましたが、ノートに吐き出すと気持ちが整理されます。

「昨日はこんな感情になってしまったけど、たぶん、この言葉がひっかかったんだ」

「自分はいつも同じような場面で塞いじゃうな」

「久々に心が軽くなった。なんでだろう」

「一対一の対話って楽しいな」

そんなささいなことが少しずつわかってきて、自分というものが見えてきました。

自分の心が望むもの、信じることを突き詰めていくことで自分自身が喜ぶような感覚です。

終わりに~好きなことは必ず自分の中にある~

 

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自分にはやりたいことがないと思っていました。

けれどこの習慣を実践することで感じたことは、やりたいことは必ず自分の中に眠ってるということに気付きました。

やりたいことがわからなくなってる人は心に玉ねぎの皮のように幾重にも幾重にも積み重なったバリアがあって、それを一枚一枚取り除くという作業はやはり自分に嘘をついて積み重ねた分だけ、時間を要します。

しかしそうして自分の心に気付いて素直になっていくこは、とても気持ち良い感覚でした。

自分の喜びはこれかもしれないということに気付き、それを少しずつでも実践していくこと。

嫌だという感情に気付き自分なりの対処を考えられたときの喜び。

今までの自分ではわからなかったことが少しずつ理解できる。

そうしてひとつひとつ自分の満たし方を知っていくと自然と物の見方も変えていくことができました。

やりたいことがわからないときというのは自分の感情を押さえつけて麻痺してるときだと思うのです。

自分の感情に蓋をして我慢をしていたので不満や愚痴が渦巻いていましたが、自分の心の癖や満たし方を知ると、ノートをとる時間が自分を癒す時間となり、自然と周囲に反応することも減ってきたように思います。

そうして抑圧がなくなってフラットになったときようやく好奇心や、やってみたいと思う気持ちがほんとに少しずつですが生まれてきました。

だからまず、自分の感情を感じてあげること。理解してあげることが大切だと思うのです。

もし、最近心から笑えてないなぁと感じてる人、なにか苦しいけれど、なにをすればいいのか、なにをやりたいのか分からないと思ってる人は自分自身を深く見つめてあげることを是非試してほしいと思います。

 


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投稿者: わん吉

楽しさと遊び心を大切に。

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