自分の働き方と向き合うきっかけとなったこの記事での西村佳哲さんとの出逢いをきっかけに人に対しての在り方、つまり接し方についても考えるようになった。
http://kamenoippo123.com/work/arikata-hatarakikata#more-71
当時、自分は自分のことでいっぱいいっぱいで、人に対して本当の意味で寄り添ったり、その人に集中して話ができていたかというとそうは出来ていなかった。
たまに悩みなどを相談されても上手く言葉にできないが「こういう相談なら人としてこうするべきだろう」のような半ば義務感のような接し方をしていた。
寄り添えない自分
スポンサーリンク
そんな自分に気づくと自己嫌悪に陥っていた。
ああ、自分は思いやりというものがないんだな、と。正直に言うとその相談されるということ事態に相手からなにかを求められているようなプレッシャーすら感じていて上手く返さなければと内心焦っては疲れていた。
一緒になって沈み悲しむのではなくて、自分というものを保ったまま共感し心を軽くするような、そんな向き合い方がしたかった。
自分と外部を隔てる壁
かといって自分がそう思えないからといって人間関係を全部捨ててしまいたいというわけではない。
煩わしいと思うことはあっても、それは親身になれない自分が嫌で気疲れするからそう思ってしまうわけで本当はもっと交流を求めていたのだと思う。
「まずは笑顔になってみると本当に楽しくなる」とか「形から入ると中身も後からついてくる」というようなことを聞いて実践してみたことがある。
苦手だなと感じていた上司に自分から優しさを示してみたのだ。きっと行動を変えていけば自分自身も後から本当にそう思えるだろうと。
でも、結果はどうだろう。
自分でも驚くほどその行為に違和感を感じた。やろうとすればするほど苦痛で相手自身も居心地が悪そうだった。
やはり中身が伴っていない行為は空気を通して伝わる。そう実感した。
人付き合いでもそうだけれど、なにか行動をしよう物事をはじめようというときもいつも心の抵抗を感じた。
やってはみるものの疲れてしまう。やるべきだと思っていっても気力はそう持たず、事が終わっては休むことに注力する。またチャレンジしても慣れることはない。
なんだか同じところをいったりきたりの足踏みをしているようでどうしていいかわからなかった。この常に目の前に叩いても割れない壁があるような、足が止まる感覚。
動きたいのに、動けない。
エンカウンターグループとの出逢い
そんなとき前述した西村佳哲さんの本の中に興味深い記述があった。
世界的な心理学者のカール・ロジャース氏の話だった。
ロジャースの話を要約するとこうだ。
人間は共感的で深く信頼できる人間関係や環境と出逢うことができると、自分の中に本来備わった性質として「発展・成長・回復・健康」といった適応的な良い方向へと変容していくことができる。
その実践法であるエンカウンターグループという実践方法も載っていた。
エンカウンターグループというのは参加者は8~10人でその中に促進者と言われるファシリテーターで構成される。
肩書や年齢、職業などは言わず、喋りたいことだけ喋れる場であって、テーマも決めずその時感じたことを語り合い、耳を傾けていく場だ。驚いたことはこれは7日間かけて行うワークという。
よくよく考えるとそういう悩みを人に話すことができなかった。今までの自分のイメージというものもあったし、悩みは得てして愚痴のようになりやすいし、そういうことを言うのは悪いことだという印象が自分の中にあったのだ。
7日間はさすがに無理だと思ったけど、探すと一日単位でやっているところがあった。
自分を知っている人には無理だけど、知らない人にならもっと自由に話せるかもしれない。
そう思った。
自分をだせる場所
エンカウンターグループは自分にとって大きな気付きを与えてくれた。
詳しくは長くなるので別記事に書くが、自分の本音を寄り添って聞いてくれる場所、信頼できる人との出会いというのはその人自身の成長にとって欠かせない要素なのだということを身をもって知った。
なぜかというとどこか新しいことや人との関係の中で本音を言えなかったり、気疲れをしてしまうのは確実に自分の中で受け容れて欲しい感情があることに気付いたからだ。
それが自分の思っていることを言えない状況や、言っても聞き入れてくれないような環境に長く置かれたときに言うことを諦めてしまう。
その感情を自分でも認めず、ごまかしごまかし生きていくと自分の本当の感情すら麻痺していく状態になる。偽りの自分が形成されていく。
外側の表面上での自分ではいろいろな経験をしていても、本音での自分自身では人と付き合えていない、感じていることを表現することができていないと本当の意味で強くなることはできない。
ひとつずつ解いていく
だからといってその少しずつごまかされていった心、塗り固められていった自分というのはそう簡単には戻らない。
一生懸命抑えてきた人ほど、自分の本心というものがわからなくなっている。
自分の好きなことや、本心はどうしたいのかなどがわからない人、喜ぶや悲しいという感情さえも乏しい人がそうだ。
エンカウンターグループが7日間である由来はこれで表面からひとつひとつ解いていって内奥に向かっていくプロセスが大事なのである。
その過程において重要なのが、その人のプロセスとその人のタイミングを大事にすることだ。よくあるのが自分にとってのベストだった手段を相手に押し付けてしまうものだ。
良かれと歩みを急かしてしまったり、手段を押し付けることはその人にとってはストレスや過程を飛ばしてしまいかねないことであり自然な成長の妨げになってしまう。
それをやってしまうのは子供のことを心配してしまう過干渉な親に多い。
感じたことを伝える
自分自身エンカウンターグループをやって初めは何を喋っていいかわからなかった。でも、徐々にその場に対しての信頼や、安心感が生まれてくるとポツリポツリと思っていることを言えるようになってきた。
その中で少しずつ言えなかったようなことを言っていくとずっと頭の中で考えが巡っていたことなのに口にして受け容れてもらっただけでそのことを考えなくなったことだ。
それを繰り返していくうちに自分の中の重荷のようなものがすごく軽くなっていることに気付いた。
人に対して自分の気持ちを言うことはとても勇気がいることだと思っていたけれど重荷が軽くなるにつれて人に対しても心に相手が入る余白のようなものが生まれた。
心の重荷を流す
人に対してや新しいことにたいして足がとまっているのは自分の中に吐き出せていない感情があり、それがパンパンになることで、もう受け入れる余裕がないのだということがわかった。
その吐き出されず、受け入れられなかった想いを見つめて流すという行為。
それには信頼できる場所や人が必要だ。
流すことによって初めて心の中に余白が生まれて対象を受け容れることができる。
人に寄り添える人になるためにはまず自分だということ。
そう心がけてから、以前よりずっと今に集中して目の前の人や事に集中することができるようになった。以前の私なら文章など考えることはできなかっただろう。
信頼できる場を見つけにいくこと、周りの人を信用して言える範囲でいいから自分の感情を伝えるということは、自分らしさ、ひいて言えば自分の人生を築く上でとても大切なことだ。
スポンサーリンク