最近よく頭のなかで思うこと。それは「もしも自分を出し惜しみせず、人生を全力で生きるならどんなことをするだろうか」ということである。
イメージングにも似てるけれど、こういうことを実際に考えてみることは自分の中の可能性の視野を拡げる行為でもあると思う。人間は考えてる方向に進んでいく生き物だ。
余命半年ならなにをしよう
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人間はふとすると先へ先へと思考がいってしまって肝心の現在をおろそかにしてしまう。
「将来のための貯金」「将来のために資格」「将来困らないための〇〇」、、
もちろん、まったく考えないんじゃ困ることのが多くなるだろうけれど、いつかもハッキリしてない将来のために常に今を我慢して耐えているなら未来ばかり見据えた自分の人生に一回くらい「今」を全力で感じられるときを作りたい、そう思う。
ある程度年齢を重ねると私の周囲の人の近しい人の中でも亡くなったと聞く人が出てくる。以前仕事でお世話になった上司、友人の親友、親戚。
病気という人もいるけれど、バイクでの事故、心臓発作、ボートの転覆という人もいる。
顔を知っている人が亡くなるというのはショックだ。その人が亡くなったという事実もそうだが、私もその人も当然明日があると信じて疑わなかった命が突然消えたということが。
自分自身だって例外ではない。
明日死ぬというとやれることは限られてしまうけれど、せめて「余命半年ならなにをしたい?」と自分に問いかけてみたいと思う。
本気で考えて、本気で問いかけると自分のなかでくすぶっていた「もっと全力で生きたい」気持ちがムクムクと出てくるんじゃないだろうか。
いままで年をとってからのことを考えて「今」を見据えていた。
でも、先がないのだとしたら、今をどんな風に生きるだろう。
道中 is lifeだよ。
糸井重里さんが以前言っていた。
「ゴールを切る達成感の中にlifeがあるんじゃない。道中だ、道中 is lifeだよ」と。
まさにそうだなと。
今の連続が続いて、続いた先に「死」がある。
だから今に「生きてる実感」がなければそのまま生きた実感はないまま死んでいく。
先ばかり見て心配や備えをしていないで、「今」を手段にしないで、生きる。
今、自分に生きてる実感を与える生き方はどんなものだろう。
自分を出し惜しみせず、全力で生きるなら
「自分を出し惜しみせずに全力で生きるなら」
想像とは凄いものでそれをリアルに想像するだけで活力のようなものが湧いてくる。
嫌なことはやめてしまおう
つまらないことを考えるのはやめよう
明日のことを心配するのはやめよう
会いたい人に、会いにいこう
やりたいと思ってたことをやってみよう
自分が大切だと思えることに時間を使おう
こんな当たり前のようでいて、当たり前でなかったことが次々と浮かんでくる。
浮かんできたことをこのいつ死ぬかわからない自分の人生で実現するかしないかは自分次第なのだ。
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