暴言を言う人に言われた側の気持ちは理解できない


やっている方はそれがどんなに嫌なことなのか分からない。そう思うことが度々あった。そもそも人はそういうものなのかも知れない。何気なく言われた言葉で実は傷付いてるなんてことはよくある。

でも相手はサラッと悪気なく言ってるから咄嗟にそのことについて「なんでそんな言い方するの?」とか「傷付いた」的な訴えをすることは出来ない。そんな場面は今まででもよくあった。

我慢ならなかったとき

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友人の悪気ない一言に傷ついても大体は言わない。友人も条件反射的とか、話す前から少し落ち込んでたり機嫌が悪い感じが伝わるときがあるからだ。そういうときはちょっとした言葉に反応したり、なにに対しても反論したくなるものだからだ。

そういう時は自分もあるし、無意識に誰かを傷つけてるときは自分もあるんだろう。

どうしても引きずりそうなときは少し時間が経ってもその日の内に伝えることにしているけど、大半はお互い様だと思って流している。

でも、我慢ならない時があった。

それは兄の家族に対する言動だった。兄は外では誰とも普通に接するけれど家族に関しては昔から言葉遣いがひどい。母に対しては特にそうだ。母は昔から兄の暴言に怒ってもすぐに許してしまう。人として言ってはダメだと思うような兄の暴言や暴力も次の日には何事もなかったように接する母に私は憤りすら感じていた。

そんな兄の暴言は徐々にエスカレートしていった。

「ク〇ババア」や「〇ね!」は当たり前のように何百回も言っていた。

そんな兄も成人して家を出て行ってから落ち着いていた。けれどたまに家に来るとまたそんな暴言を吐くのだ。

成人してからは特に厄介で母に対しては妙な敬語まで使いはじめた。相手を尊重するはずの敬語を母に対して

「〇〇さんはまぁそうですよね」

と、母を名前で呼び凄く嫌な感じで言ってくるのだ。あまりの態度に私は母に「あんな言い方許しちゃいけない」と言っても母は兄になにも言わない。母は兄の暴言や要求にただ聞いて「そんなこと言わないで」「それは無理だよ」と言うだけだった。

兄にもなにか受け入れてほしいことがあったかもしれない。

友人に兄について相談したときもそう言われることはあった。でも、人に対して何百回も「〇ね!」と言うこと、家族に対してなら何でも言っていいと思ってる兄に私がもう我慢できなかった。

兄に怒りをぶつけた

いつも暴言や暴力が多かった兄だけど、同じような暴言を言う人は家族で誰もいなかった。父は兄の話を聞こうとか暴力をなんとか抑えることで精いっぱい。母もだ。兄弟はどちらかというと幼い頃から怒りやすい兄に委縮しなにも言えなかった。

私や弟は特に幼いときは親にバレないように兄に命令されたりいじめられたりしていた。年の離れた身体の大きい兄に逆らえるはずもなく毎日のような命令や暴言に耐えた。それもあってか10代までは兄を前にしただけで何も言えなくなるような状態だった。昔からただ、すぐ怒る兄を刺激しないように事が収まるのを待つだけだった。

でも、私も成人して大人になった今もうこれ以上兄のひどい言葉で嫌な気持ちになることを許せなかった。

きっかけはなんてことないことだったと思う。母が体調が悪くて電話にでれずにいたときに兄が家に電話いれたらしかった。

家にいたのに出ない母に兄は怒って兄は電話に出なかったことについての暴言を連日母に電話でかけていた。母が出れなかったことについて謝ってもそれは収まらなかった。

私は我慢できなくなり、電話を変わり兄に言った。

「いい加減にして!」

歯向かうことのなかった私に兄は一瞬驚きながらも「なんだぁその口の聞き方は?」と怒った。

一度言い始めると自分でも驚くほど言葉が出てきた。感情にまかせてるようで今まで溜まっていた言葉が追い付かないほど出てくる。

「口の聞き方が悪いのはどっちなの!?」

頭が怒りで爆発していながらもどこかで冷静な私がいた。そこから私は今までのありえない言葉やいつまでも母に対しては何を言ってもいいようなところが昔から嫌だったことについて言った。

兄に自分のしていることがどれだけ人を、私を嫌な気持ちにさせてるか分からせたかった。

「同じようなこと言われて、されないとどんな気持ちになるか分からないんでしょ!これから全部同じ言い方してやるから!同じことしてやるから!」

若干声が震えるのが分かった。けどこれは恐いからじゃなくて奥底から溢れてくる怒りに震えていたからだ。

「〇ね!って言ってやるから!一回でも言えないことだけど!言いたくないけど、同じこと言わなきゃ分からないんなら言ってやるから!」

「〇ね!ふざけるな!テメェって言ってやるから!」

兄は時折なにかを言ってきたけれど、ほとんど黙って聞いていた。ひとしきり思っていることをぶつけた。電話を切るときも、取らなきゃいけない義務はないこと、自分の意志で取るときはとるけれどあまりにひどい言葉遣いならもう連絡はとらないことを伝えて切った。

罪悪感はなかった。むしろ言えたことへの解放感があった。

昔から誰が何を言っても無駄だった兄だからなにか言いたいことがあっても言うだけトラブルを拡げるだけだと諦めていた。

けれど、兄に怒りをぶつけた日から兄は私が言ったような酷い暴言を母に言うことがなくなったのだ。

と、言っても完全ではなく、妙な敬語は残っていたし、相変わらず母になにかしらの文句は言っていた。けれど酷い暴言は言わなくなったのだ。

そのあとも、私は嫌な気持ちになるさん付けの名前呼びや敬語にはカチンときて兄にまったく同じ口調で返したりした。

また兄は「なんだその口調は!」と言ったけれど「同じ言い方にしただけだよ」と言うと黙った。

すると嫌な気分になる敬語もその日からなくなった。

 

兄がどんな気持ちだったのかは分からない。けれど、私はそのことを思い出すと感じる。

人は同じ立場で経験しない限り、人の気持ちが分かることはないんだということに。

よく考えれば共感というものも本当の意味では出来ない。似たような境遇であっても実際はきっと全然ちがう。人が出来るのは自分の経験を元にして想像することが出来るだけだ。実際の真実はその人でないと感じることはできない。

そもそも相手の立場にたって寄り添おうという気持ちがない限り、同じことを経験しない限りその気持ちは分からないんだと思う。

私も兄の気持ちはまったく分からないし、今はまだ寄り添いたいという気持ちがない。

だから出来るのは自分のそのままの気持ちを伝えることだけだ。

ある時期が過ぎたらもしかしたら兄がなにを考えていつもトラブルを起こすのか、なにをして欲しいのか言ってくれれば聞くことは出来るかもしれない。

でも、それを言わないでただトラブルだけを起こすなら、もう関わりたくない。

それが今の私の本音で今まで伝えなければいけないことだったのかもしれない。

 

意味がないことだと思っても、言い争いになるだけだと思っても思ってることを伝えることには少なからず意味はあるということを今回の件で学んだ。

それは相手だけじゃなく自分でも。

結果はどうなるか分からない。限界がくるかもしれない。けど、自分がいま出来るだけの対話はしたい、そう思ってる。

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投稿者: わん吉

楽しさと遊び心を大切に。

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