情報過多の世の中で学ぶことをやめる


情報溢れる今の世の中で、学ぶのは良いことだとされている。

資格をとること、本を読むこと、最新の情報に乗り遅れないようにする。

役立つことはあるかもしれない。けれどインプットインプットインプットして、振り回されている人も多いのではないだろうか。

学ぶことは鵜呑みにすることではない。

学ぶことは大切なことかも知れないけれど自分の頭で考えず鵜呑みにしてはただコピーしたことと一緒だ。鵜呑みにしては情報量が多く、博識のようには見えるかもしれない。でもそれならロボットと同じで、ネットの方が早く的確な情報が手に入るのだ。調べればわかることを学んではいけない。

情報は人に意見や価値観であり、人が作ったものであり、世の中の知識だ。

情報は確実に自分の中にはいり、自分に影響を与える。そう、与えられているのだ。

ただただ良いと思われる情報、有名な人の情報だからと取り入れている人は注意した方がいい。一般の知識を身につけすぎることは時に、自分自身の軸をズラす。

きっとこの情報を得ることが周囲で価値があるに違いない、この知識を得ることが安定した将来に繋がるに違いない。

そうやって一般的な価値観に軸を置いて情報を集めると、自分自身の本当の価値観が置き去りになる。

そういう点でまず、自分の視点というものを固めておくことが大切だ。

メディアから離れる。

情報という名の学びはときに依存性がある。

ネットの中にはたくさんの情報がうずまいて、自分に関係のある、興味のあるものを見ては刺激をうける。

テレビ、本、スマホ、SNS、自分たちをとりまく環境は情報に溢れてる。

時代に乗り遅れないように、時代との関係を切らないように。

それを楽しめている人はまだいいかもしれない。でも周囲の流れに身をまかせていてなんとなく時が流れている。なんだか焦燥感がある。そんな人は一度、情報から離れてみてはどうだろうか。

脳科学者の実験ではテレビを観ている人の脳より、なにもしていない人の脳の方が活発に動いていたという驚きの統計結果も出ている。

よくよく考えるとテレビなどで一定の距離で自分は考えることなくただ受け身に情報を受けとるよりも、テレビを観ない状態でなにをしようと考えたり視覚を動かすほうが脳にとっては確かに高度であろうと思う。

時間のおだやかさや、景色、自分の感覚に意識がいくことに気づくだろう。一見受け身だけれど、情報にたよる生き方というのは本当に自発的なのだろうか。

外部にばかり意識をもっていかず、自分に意識をもっていく。感じる時間をもつことは自分自身を満たす行為でもある。

一週間、メディアからは離れて部屋の模様替えでも、日記をつけてみても、音楽に合わせて踊ってみてもいい。

なにもない時間を自分の感覚をたよりに楽しんでみよう。

学んできたことを手放す。

自分が学んだことに執着し、この道で生きていくと決める。

学ぶことを手放せないで苦しんでいる人は以外に多い。本当はもう心のなかでは興味がない、飽きているという自分の声を無視してしがみつくことは心の中に一種の淀みを生む。

変化を欲するということは自分の中で今まで必要だったことが満たされて飽和した次のステップへの通過点だ。

変化とはひとつの成長だととらえて学んだことをゼロにし、次のステージにいくこと。

ひきとめているのは自分の感情ではなく社会的な地位やその道での自分の肩書(プライド)ではないか今一度自分と対話してみよう。

もう学ぶのはやめよう。

ある一定まで学んだなら、あとはもう自分ですべてをつくってみるのだ。創造してみるのだ。

人がつくったものは人がつくったもので自分ではないのだ。

最初からすべて自分で考え、つくってみる。その喜びや楽しみは一度味わうとやみつきになる。

人がなぜ別々の個人なのか、それはその一人一人に、個性という持ち味とやるべき使命があるからだと思う。

自分の感じるままに創造する人生、それはこの上ない豊かさをあなたの人生に運んでくれる。

 

 

 

投稿者: わん吉

楽しさと遊び心を大切に。

「情報過多の世の中で学ぶことをやめる」への2件のフィードバック

    1. かもめさん
      いくら情報を取り入れても受け身の姿勢が変えられなかった昔の自分に対する一言を書いた記事でした!
      情報を手放して自分で感じたことから出発して自分の意志で動けるようになってから変われたように思います。
      コメントありがとうございます!

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