ツイッターやブログで発信する怖さについて

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発信が怖い、勇気がいる。と感じてる人は多いはず。かくいう私もこれまで長くツイッターやブログをやってるけどこの発信する恐怖感というか抵抗感は未だ拭えていなかった。

もっと自分を表現したいと思うのに、恐怖感から内容で足踏みしたりすぐ感情が揺らいで足が止まってしまう。

そんな状態だった私なんですが最近なぜそうなるのか深堀りしていった結果、以前より発信に驚くほど抵抗がなくなったその考え方をシェアします。

邪魔するのは自意識

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まず最初になんでこういうブログやツイッター、フェイスブックなどに投稿するとき「怖い」というような感情が浮かんでくるかというと当たり前ながら自意識が邪魔するのですよね。

「こんなこと言ってどう思われるだろう」

「反応がないんじゃないか、興味持つ人なんていないんじゃないか」

「批判がくるかもしれない」

こんな感情が意識的でも無意識でも自分の中に浮かんできて発信するのが怖くなるんだと思います。

そんな感情が邪魔して当たり障りないこと言ったり綺麗ごと言ったりするのもちょっと現実の自分と違って自己嫌悪したりね。

あります私。

私の場合はブログはそんなに発信のハードルは高くないんですが、ツイッターは結構抵抗感あってフェイスブックに至っては全く発信できません。

なぜかというとブログは知人に一切教えていない(ここ大事)ことと主に検索から来てる人が大半なので読者は文章のみを読んでるからなんですね。

これがツイッターになるとアカウントとして個人が前に出ててフェイスブックに至っては友人知人のみのフルネームじゃないですか。これは本当自意識が邪魔しマクリスティ。

それなのにたまに気分がのって投稿したり呟くときは「まったく自意識なんてありませんよ」風の自然感だして

みたいなかっこつけた風なこと言うから笑

誰も反応してくれないと悲しいし変なこと言ったかなとか思ってズーンと落ちたり。

やっぱりなんか怖い感情が実はある。

なんでこんなに怖いのか、どうすればもう少し楽になるのかを考えた結果、いくつか実践して効果あったことを書いていきますね。(あと内緒なんですけどツイッターフォローしてくれたりイイネ押してくれたりすると凄い喜びます!)

こう思われてるかも、は自分が自分に思っていること

発信するときに主に怖いことで一番にくるのって正直「周囲にどう思われるか」「反応なかったらかなしい」「自分なんかが発信したって、、」とかそんなことだと思うんですよ。

この自分に対して周囲にこう思われるんじゃないかと考えてること。

これって実は自分が自分に対して思ってることだよなと思ったんです。

だって「周囲にこんな奴だと思われるかも」って自分が自分のこと「こんな奴」って思ってなければ発想として出てこないんです。

自分が普段からそんな奴だと思ってるからそんな奴と思われるだろうなって考えるんですね。

だから「こんな自分が発信しても…」とか「どう思われるだろう」というようなことも「自分は価値も取柄もない人だし」とか「興味もたれるような人間ではない」みたいな深層での自分が邪魔して抵抗感として出てくるんだと思います。

これが逆で極端だけど「自分は価値があって、自分の発信は面白い!発信すればするほどみんな自分を好きになる!」なんて本当に思ってたとしたらガツガツ発信できちゃうと思うんですよね。

そういう自己肯定感というか自信がある人の言葉ってなんというか言葉に良い意味での「軽さ」や「強さ」があります。

いきなり凄いポジティブになれっていうのは無理かもしれないけど、そんな風に自分に対して自信の無さを抱えているとそれが言葉の中に垣間見れて文章を重くさせているのかなと。完全な感覚ですが。

なのでそこから自分に対して「自分の経験には価値がある」「過去の自分と同じような経験をした人には届くはず」と思うようにしたんです。

そう考えるようになってから誰かの役に立ってるかも、という思いが自分が感じていた自意識を軽くさせたように思います。

周囲の評価より自分の感覚を信じる

これも「どう思われるかな」とか「批判がきたらどうしよう」というように考えるときに思ったことなんですが

それはつまり見た人からそういう批判やおかしいと言った反応がきたら傷つくから。

だと思うんですよね。

これをよーく嚙み砕いて観察するとそれは

「自分の感覚」より「他人の評価」を信じてるからなんだと。

もう一度言います。

「自分の意見」<「他人の意見」

と思ってるからです。

だから、「ああ、やっぱり自分は間違っていたんだ」的に感情が揺さぶられてしまう。

でも、他人の評価っていうのはその人の価値観で、常識というものを出されたりしてもそれも一般的な多数決の中での価値観です。それが自分が感じた感覚が間違っているという根拠にはならない。

例え自分の意見が少数派だとしても、自分の感覚を信じること。

そして自分が思っているということはどこかで同じことを思ってる人が必ずいるのだと思います。そこに向けて言葉を投げる。

自分の感覚を信じられることが「自信」だと思います。嘘偽りない自分の感覚を自分自身がまず信じてあげましょう。

自分にとっての真実を語ること

今までのことを通じて最終的に思ったことは「自分自身の真実を語るのならそこに間違いや正しさはない」ということ。

発信するなかで「この考えは間違っているかもしれない」や「この感覚は常識的ではないのかも」ということが発信する足を止めてしまいます。

そしてもし発信する際にその考えが邪魔して自分が本当に感じてる感覚を無視して一般的に受け入れられそうな内容にしたり、どこかで借りてきたような内容にしてしまった場合それを人から指摘されると芯が無いわけですから何も言えません。

偽りの言葉である限り中身は伴ってないし、グラグラと揺らぎます。

でも、それが自分にとって疑いようのない真実ならば、それが正しいか間違いかなんてことは他人に決められないのです。

自分自身にとっての真実を語るかぎり、それはただ真実としてそこにある。

自分にとってたしかな感覚の話であればたとえ批判がきても「自分にとってはそうであった」「あなたにとっては違っていた」と割り切れるのです。

表現する楽しさ

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自意識が完璧になくなったわけではないのでまだ完璧にというわけではないけれど、これらのことを意識するようになってから以前より格段に自分を表現することへの抵抗感がなくなったように思います。

それに伴って「自分を発信することの楽しさ」のようなものも感じられるようになりました。

それは発信する内容について深堀りすることで多くの気付きがあること。

自分の感じた本音を表現して共感を得られることはこの上なく嬉しいこと。

ということがあるからです。

これは当たり障りないツイートやどこかで聞いたような言葉を発信してたときは得られなかった感覚です。

発信を使って自分の輪郭をより深く知っていく、それを人に知ってもらうということは「自分という存在の実感」に繋がります。

「大勢のなかに埋もれていく自分」ではなく「唯一無二の自分の感覚」を拡げていくことは自分という手応え、人生の豊かさにも繋がっていくのだと思います。

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投稿者: わん吉

楽しさと遊び心を大切に。

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